院長日記

- 本気で共に働く先生を求めなくては - 2008.6.28 新井英和

 

    2008年4月27日以来、2ヶ月ぶりに日記を書いています。2ヶ月に1回では、とても日記とはいえませんが・・・

 私は、1979年に奈良県立医科大学を卒業しました。この頃にも医師の研修制度は存在しましたが、現在のようには義務化されていませんでした。このため、私は大阪市内の民間病院に研修医としてではなく一人の医師として就職しました。就職した病院は、脳卒中の三次救急病院として大阪では有名な病院でした。研修プログラムなどない時代ですから、卒後2ヶ月くらいから先輩に言われて鎖骨下静脈穿刺や脳血管撮影をするようになっていました。ある日、一人で当直をしているとくも膜下出血の患者さんが救急搬送されました。CTを見て、くも膜下出血だからと脳外科部長の自宅にすぐ来てくださいと電話をすると、動脈瘤の位置はどこかと聞かれました。CTを撮っただけなので分かりませんとお答えしたところ、動脈瘤の位置も分からずに脳外科医に電話するなんてとお叱りを受けました。そこから卒後1年にもならない私が、一人で夜中に脳血管撮影です。今思えば、こんな病院はありえないと思いますがそんな風に私は医師としてのスタートを切りました。初めての鎖骨下静脈穿刺の時、先輩に見たこともやったこともありませんからどうすればよいか分かりませんと言ったところ、「お前は馬鹿か」と言われました。鎖骨の下に通っているから鎖骨下静脈だろう、鎖骨の下に針を刺せばよいのだと指導を受けたのです。この時は不思議と一発で鎖骨下静脈に針が当たり穿刺はうまく行きましたが、その後なかなかうまくいかず、得意な手技となるまで苦労しました。当たり前です。鎖骨の下には動脈も通っているのですから。ある時、大阪大学の特殊救急部から来ていた先生が、第一肋骨と鎖骨の交点が胸郭の出口で、そこから動脈も静脈も出てくるのだよと教えてくれた日から、目が覚めました。胸郭の中で穿刺するのか、外で穿刺するのか、どこに向かって針を進めるのかといった全ての問題がその日から解決しました。指導とはこういうものだと思います。先輩の後ろで何百回、手技を見ていても身につかないものが、たった一言で身につくのです。

 1983年、現湘南鎌倉総合病院副院長の齋藤滋先生のお誘いを受け、関西労災病院に転勤。国内で始まったばかりの冠動脈形成術に関わるようになりました。1988年には新規オープンした湘南鎌倉病院の循環器科を立ち上げるべく齋藤滋先生と共に鎌倉に移動しました。三方活栓の使い方も知らない看護師を指導しながらのカテ室の立ち上げでしたので苦労もありましたが、出来上がったカテ室の中で働くのとは異なる貴重な経験を積ませていただいたと思っています。この経験が後の、福岡徳洲会病院、大隅鹿屋病院、現在の鹿屋ハートセンターのカテ室を立ち上げるのに役立ったことは言うまでもありません。カテーテル検査やカテーテル治療が上手に出来るようになって来た先生に、チャンスをあげるからゼロからカテ室を立ち上げて、評価に値するチームを作ってごらんと言ったら多くの先生は途方にくれると思います。出来上がったシステムの中で働くことと、何もないところからシステムを立ち上げ成功に導くこととの間には大きな壁が存在します。そうした壁を乗り越える機会を得た私は恵まれていたと思っています。

 湘南鎌倉病院では齋藤滋部長の下の医長であった私は、1996年に循環器科部長として福岡徳洲会病院に転勤しました。初めての部長職です。部長としてどのようにふるまうかについて私は当時よく考えたものです。科の中で最も技術的に優れたもの、あるいは知識が豊富なものが部長にふさわしいのでしょうか?私は違うと思いました。チームとしての能力をいかに高め、その高まった能力をいかに多くの患者に還元するかをマネージメントするのが部長としての役割だと思ったのです。福岡に転勤した当時、カテーテル治療の技術を持っている医師は私一人でしたが、私は科のメンバーに私の技術を支える手足としての役割を求めませんでした。このやり方では私の個人のチーム以上の力がチームについてこないからです。こうした考えでチームの運営をしてきた結果か、あるいはチームのメンバーの資質か、おそらく両方だと思っていますが、福岡時代のチームから多くの部長が誕生しました。名瀬徳洲会病院副院長の生野俊治先生、福岡徳洲会病院循環器部長の下村英紀先生、熊本地域医療センターの平井信孝先生、県立延岡病院循環器会長の森山泰先生などです。現在は、千葉で活躍されている平島修先生や、福岡大学で活躍されている松尾邦浩先生や西川宏明先生もこの当時のチームメンバーです。また、これらの先生方が働く病院でのカテーテル治療件数は合計で年間に千数百件にもなります。医師が育ち、その先生方が更に多くの患者に貢献する構造に関与できたことは部長として働いた私の誇りです。

 現在、鹿屋ハートセンターはセンターとは名ばかりで新井が一人で運営しています。年間に200件余のカテーテル治療件数で一人で十分にやって行ける仕事量ですからしんどいこともないのですが、かつての喜びに欠け、思い悩むことがあるのです。もう共に働き、成長してゆく仲間の先生方のその後の活躍を見られないのではないかという焦りです。そろそろ仲間を本気で求めなくてはならないと考えています。循環器学会に問い合わせたところ循環器学会の研修施設になるためには35床の病床数が必要ですが関連施設であれば15床でよく、それは有床診療所でもかまわないとのことでした。8月には循環器学会研修関連施設として手を上げようと決めました。私と共に働くことでその先生が不利益を受けないために研修関連施設としての認定を受けることは最低限の保障だと思うからです。私が、カテーテル治療の術者として、循環器科部長として、大病院の院長として、小さいながらも医療機関のオーナーとして得たきた全てを、のちに活躍するであろう先生方に伝いたいと思いが日々募ります。自らの意思で一歩踏み出す勇気が人生を変えるのだと思っています。

   
   
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鹿屋ハートセンター  郵便番号893-0013 鹿児島県鹿屋市札元2丁目3746-8 電話 0994-41-8100