院長日記

- 手術件数が多いほど実力のある病院? - 2008.4.27 新井英和

 

    久しぶりに昔の友人と電話で話しをしました。仮にA先生と呼びます。A先生は、10年以上前に同じ病院で働き、ともに冠動脈治療の研鑽を積んだ兄弟弟子といったところでしょうか。その後、別の病院で働くことになりましたが、A先生は年間600件程度のカテーテル治療をする病院の循環器部長としてその腕を振るってきていました。その彼が、突然に退職したという話を聞いて電話をしてみたのです。

 A先生が勤務していた病院に、病院側から別のカテーテル治療をする医師を採用することになったと話があったそうです。仮にB先生とします。A先生がB先生と一緒に働いてみると、薬剤溶出性ステントを使うと再狭窄が起こらないから再治療をする患者さんが発生しないために経営的に損だと言い、また、複数の狭窄がある患者の治療は一度に治療してしまうと1回しか手術料が取れないから損だ、複数回に分けて治療したほうが得だと言う先生だったそうです。A先生は、なるべく再発しないように極力、薬剤溶出性ステントを使用していたそうですし、(このスタンスは私と同じです) また、なるべく少ない治療回数で複数の血管の治療をする努力をしてきたそうです。(これも私と同じスタンスです) まったく理念が異なる2者が一緒に仕事ができるはずがありません。A先生は、それが病院の選択ならばと次の勤務先も決めないで退職したというのです。

 スタンスが同じなのは兄弟弟子ですから当然といえば当然です。これは、より少ない肉体的な負担、より少ない経済的な負担で、より良い結果を提供しようとする気持ちから出たやり方です。B先生にもきっと言い分があると思います。薬剤溶出性ステントは遅発性血栓症などの問題があり安全性が確立していないではないか、だから安全性の確立している従来型のステントのほうが患者のためなのだという言い分です。また、複数の治療を一度にしないのは、複数の治療を同時にした時に同時に問題が発生すると生命の危機に陥るから1箇所ずつ治療をするほうが安全だと言われるのだろうと思います。しかし、B先生は正直な人なのでしょう。「カネのため」と思っていても「患者のため」と言葉を繕う医師が多いのに真っ正直に「カネのため」と言ってしまったのです。

 A先生の言い分も「患者のため」、正直なB先生も患者に対しては「カネのため」とは言わずに「患者のため」と言われることでしょう。まったく異なるやり方がどちらも「患者のため」という同じ言葉で正当化されると考えると「患者のため」という言葉ほど空しい言葉はないと思わずにはおれません。また、「患者のため」と同じ言葉を使っても内容は異なるわけですから。「患者のための医療」だとか「患者本位の病院」という言葉を前面に出す病院にはきっとハズレもあるのだということは肝に銘じておかなければなりません。

 2つのやり方をする病院があり、どちらも年間に200人の新たにカテーテル治療を必要とする患者が来る病院としましょう。半年間に100人の新患です。その中で2箇所の狭窄を持つ患者の率が50%だとすると、A先生が最初の半年で治療する件数は100件です。B先生の半年間の治療件数は150件になります。次の半年、A先生の最初の100人の患者の150本の狭窄のうち5%程度が再狭窄し、治療件数は108件となります。1年間の治療件数は208件です。B先生の場合、次の半年に150本の狭窄の15%程度が再狭窄し、治療件数は173件で、年間の治療件数は323件となります。同じだけの200人の患者が来て、かたや208件の治療回数の病院、かたや323件の治療件数の病院です。どちらが患者にとって、また、医療費を大事に使う病院という観点でどちらが国家にとって良い病院なのでしょうか。多くの人は前者がよい病院と考えると思いますし、私も前者のスタイルで仕事をしなければと思っています。

 しかし、以前にも「カテーテル治療をする責任」に書きましたが、この国のマスコミは数が多い病院ほどよい病院と言うのです。朝日新聞の発行する朝日MOOK「手術数でわかるいい病院」の基調は手術数の多い病院ほどよい病院だからそこに行ったほうがよいですよというものです。一方、治療成績の公開が日本よりも進んでいるアメリカでは病院ごとの手術成績を、手術数はもちろん、再治療件数や死亡数や手術コスト、平均在院日数まで病院間で公平に比較できるように患者の重症度で標準化して成績を公開しています。同じ重症度で同じ数だけ患者が来て208件の手術回数で治療が完結する病院と323回の手術を要する病院の評価はアメリカの基準で言えば323回もの手術を要する病院は悪い評価を得るのです。

 標準化という統計的な手法まで用いて病院の成績を向上するために努力する米国のやりかたと、社会保険事務所から提供される数字だけで数が多いほどよい病院だという安易MOOK作りをしている日本を代表する新聞社の姿勢の違いはどこから来るのでしょうか。 朝日新聞社は米国の病院機能を評価する機関と比べて幼稚なだけでしょうか?朝日新聞の発行する朝日MOOK「手術数でわかるいい病院2008」は総ページ数290ページの立派なMOOKですが税込み680円と安いMOOKです。290ページ中195ページから287ページまでは医療機関の広告で占められています。およそ総ページ数の30%が広告で占められているのです。私が鹿屋ハートセンターを開業する前に勤務していた大隅鹿屋病院はこのMOOKにランキングされる病院です。このMOOKが発売される前に広告を載せないかと朝日新聞社からFAXが流れてきました。FAX1枚で広告収入を得ようとする姿勢が気に食わない私は即座に広告掲載の依頼を断りましたが、この依頼に乗り広告を載せた病院も少なくありません。MOOKをみれば何の目的で作られたものかはすぐに分かります。広告収入を得るために作られたMOOKです。これから病院を受診する「患者のために」、朝日新聞社が実力のあるよい病院を取材して教えてあげましょうという仮面をかぶっていても、本当は広告収入で成り立つMOOK作りをしているのです。もし本当に「患者のため」というのなら、評価の対象である医療機関から広告収入を得るというの明らかに間違っています。ここにも「患者のため」という嘘をつく輩がいます。

 2002年、厚生省は手術数の施設基準を作成し、その基準数に達しない病院の診療報酬を85%にカットするという制度を新たに設けました。この結果、少数の手術数しか実施しない病院は淘汰されると踏んだのでしょうが、患者数の少ない地方の医療が崩壊するとして多くの学会から批判があり、この制度は中止となりました。200件の手術件数の病院は100%の診療報酬ですから20万円の手術なら4000万円の手術に伴う報酬を得ます。一方、施設基準に達しない195件の施設では100%の3900万円ではなく85%である3315万円の診療報酬ですから大幅な減収となってしまいます。施設基準が作られ件数の少ない施設を淘汰し、実力のある病院だけを残し、医療費の節減をも狙った厚労省の目論見ははかなく破れ、施設基準を満たさない病院が施設基準を満たすべく件数の増加を図りました。手術数は減るどころか増えてしまったのです。

 医者が金儲け本位だから、この制度は破綻したのでしょうか。それも理由の一つでしょうが、私にはこの国の医療が抱える根本的な欠陥が原因のように思えます。実施される医療が妥当であるか否かを検証するシステムがこの国の医療には欠如しているのです。同じ200人の患者が来て208件の手術をする病院と323件の手術をする病院があり、それを評価するマスコミも公的機関もこの国には存在しないのです。この国の医療に正しい方向性を捜し求めるものが存在せず、「患者のため」という美辞麗句の下に「カネのため」に上手に経営する医療機関と、この国の医療の方向性を提案しないで上手な経営をする医療機関からの広告収入を生きる糧とする寄生虫のようなマスコミではこの国の医療が再生できるはずがありません。インターネット上にアップできる地方の医師の考えが普遍化され、この国を動かすことは出来ないでしょう。しかし、風車に向かうドン・キホーテではありませんが、空しい努力であってもこの国の医療を取り巻く欺瞞に物申してゆかなければと思っています。

   
  ちなみに朝日新聞の発行する朝日MOOK「手術数でわかるいい病院2008」では、私がかつて勤務していた大隅鹿屋病院の2006年のカテーテル治療件数は1133件で全国7位と掲載されています。僻地といってもよい鹿屋の医療機関が全国7位です。常識のある人が見れば、この数字は間違いか、よほどおかしな医療がなされているかのどちらかに映るでしょう。しかし、幼稚で問題意識のない朝日新聞社にはこの数字が不思議なものには映らなかったようです。大隅鹿屋病院の名誉のために記しておきますが、大隅鹿屋病院のホームページに記載されている2006年のカテーテル治療件数は491件です。朝日新聞社が実力全国7位という数字は大間違いの杜撰なものでした。また、上記したように米国の評価機関の評価方法とはまったく異なり、手術数だけで評価する幼稚すぎる内容、評価対象から広告収入を得る欺瞞と3拍子揃ったこのようなMOOKを作る朝日新聞社は恥を知るべきだと思いますし、このMOOKに登場する鳥越俊太郎さんにもジャーナリストとして本来の姿に戻ってもらいたいと願っています。
   
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