院長日記

- ホームページ公開を躊躇していた訳 - 2008.2.12 新井英和

 

   2006年10月に鹿屋ハートセンターがオープンして以来、多くの方からホームページを作らないのかと言われ続けていました。既にkanoya-heart.comのドメイン名は取得していましたし、いつでも公開は可能でしたが筆がまったく進まなかったのです。

 私は、1998年、当時在籍していた福岡徳洲会病院循環器科のweb siteを立ち上げました。今と違ってインターネット人口も少なくweb siteを公開することが医療機関にとってどのような意味を持つのか良くわからないままにまったくの手作りで立ち上げたサイトでした。しかし、10年以上前の環境で年間4万アクセスをコンスタントに記録し、NHKのインターネット入門講座のような番組でもサイトが取り上げられたりもしました。サイト内にあった循環器の病気で困っている方からの相談を受けますよというコーナー には4年間で1500件を超える相談のメールが寄せられ、当時は丁寧に対応していました。10年前に作ったホームページが当時の医療機関としては国内有数のアクセスであったために、これを超えるものをという気持ちがプレッシャーとなり、鹿屋ハートセンターのホームページ立ち上げの筆が進まなかったのです。

 当時のサイトで、私は医療機関のホームページ立ち上げは無駄だと書いています。医療機関のターゲットとする利用者は極めてローカルです。一方、インターネットのターゲットは日本語ページであれば日本全国、仮に英語のサイトであればworld wideです。「当院では患者様に優しい医療を心がけています」などと書いてみても隣の県の住民でさえそんな内容に興味があるはずがありません。インターネットの普及が始まった頃から「ローカルからグローバルな情報発信」の期待が語られていましたが10年以上経った現在もそのようなグローバルに役に立つ医療機関のホームページは稀です。ローカルに生きる医療機関が何故グローバルなツールであるインターネットを利用するのかは私にとっても回答が難しい問題でした。これも私の筆(キーボード)が進まない理由でした。

 2008年の現在、「医療崩壊」、「都市と地方の格差」が盛んに語られるようになりました。そうした中で、大阪という都市部で生まれ育った私が、鹿屋という困窮する地方の代表のような町で 、自らが少なくない債務を負って始める鹿屋ハートセンターの仕事は、東京発の医療体制の提案よりも普遍的な提案ではないのかと最近思い始めました。

 鹿屋ハートセンターは開設からほぼ1年半が経過しましたが、その間に医師向けの雑誌「ジャミックジャーナル」が鹿屋ハートセンターの記事を広告記事としてではなく取材記事として掲載してくれましたし、BSアサヒの「菅原明子の一期一話」という番組でも当院が紹介されました。鹿屋の田舎の仕事の内容を知りたい人がいるのだということが私を刺激し始めたのです。医療機関にとってホームページなど無駄だと斜に構えず、肩の力を抜いてこ のような取り組みもあるのだということを、これからは紹介してゆきたいと思います。

   
  かつて私が作った福岡徳洲会病院のホームページ
 
   
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鹿屋ハートセンター  郵便番号893-0013 鹿児島県鹿屋市札元2丁目3746-8 電話 0994-41-8100